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最高裁判所第三小法廷 昭和61年(あ)266号 決定

本籍

京都府八幡市橋本北ノ町三三番地

住居

大阪府茨木市永代町九番六号

医師

小島重信

昭和五年八月八日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和六一年一月二九日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人中山茂宣の上告趣意は、量刑不当、事実誤認の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 伊藤正己 裁判官 安岡満彦 裁判官 長島敦 裁判官 坂上壽夫)

○ 上告趣意書

被告人 小島重信

右の者に対する上告趣意は次のとおりである。

昭和六一年四月一五日

弁護人 中山茂宣

最高裁判所第三小法廷 御中

第一点 原判決の刑の量定が甚しく不当であって、これを破棄しなければ著しく正義に反する。

一 被告人の本件事犯は、ほ脱税額が多額でほ脱率も高率であり、犯行態様も芳しいものではないことは一審、原審判決指摘のとおりであるが、以下に述べるような諸事情を考え合わせれば一、二審の判決は併科刑たる罰金刑額はともかくとして懲役刑の実刑判決は甚しく不当である。

二 被告人は、昭和三三年に医師の免許を取得後、昭和三五年大阪府茨木市において開業して以来日夜働き続け、昭和四〇年、同四二年、同四六年と順次病棟を増改築し、現在二七六床のベットを有する小島病院、七九床を有する聖ハンナ病院の二つの総合病院を個人で経営しているのであり、両病院の入院患者の約九〇パーセントは老人である。老人医療費の増加により健康保険の赤字が増え、その負担軽減のため老人医療費を低く押えようとする現在の国家の医療体制、あるいはいわゆる寝たきり老人、あるいはぼけ老人など大変な手間のかかる等の理由により、他の病院が嫌う老人の入院患者を、被告人は昭和四〇年代頃から積極的に受け入れ、老人医療のため永年に亘り尽力してきたのである。このことは、本件に関し入院患者及びその家族から何とか執行猶予付の恩情ある判決を切望する嘆願書が多数出されていることからもうかがわれるのである。このように被告人は人一倍の苦労を重ね、現在の地位を得、蓄財をしてきたものであって、本件が発覚し新聞、テレビ等に報道されることにより社会的な信用を失ない、経済的にも金融機関からの借入れ等の方法により、本税、加算税等総計一〇億八三七一万円余の諸税を完納し、その他所得税の延滞税の未納分一億三〇三六万円余についても昭和六〇年四月以降毎月五〇〇万円ずつを分納し続けているのであり、すでに経済的、社会的な面で多大な制裁を受けているのである。

三 被告人の病院には、現在約三五〇名の入院患者がおり、前述のとおりその九〇パーセントは老人患者であり、また、約一五〇名の従業員が病院に勤務しているのである。病院には一三名の医師はいるものの個人病院であり、その経営は被告人個人の力に依存しており、被告人の債務、すなわち病院の債務は現在約二一億円に達しているのである(証人板根清明の証言調書添付の貸借対照表参照)。被告人が本件により実刑判決となり収監されるならば、病院の債務は返済不能となり、倒産することは火をみるよりも明らかである。このような事態となれば一五〇名の従業員が職を失うことは勿論のこと、大多数の入院患者は前述のごとく他の病院が嫌う老人患者ゆえその引き取り先を捜すことはほとんど不可能である。法人化した病院であればともかく個人病院においては経営者たるものの存在は大きく、余人をもって代え難いのであって、被告人がその犯した犯罪に対し相応の刑罰を科せられるのは当然としても、これら犯罪とは全く無関係の多くの人々に過大な苦痛ないし悪影響をこうむらせる恐れがある実刑判決は社会的に見ても好ましいものではない。

四 租税ほ脱犯に対する量刑は、昭和五四年度まではそのすべてが懲役刑につき執行猶予付であり、東京地裁昭和五五年三月一〇日判決(判例時報九六九号一四頁)が初めての実刑判決であって、その後昭和五六年に法改正されたこともあって従来より量刑上厳しくなっていることについては弁護人も承知しているのである。租税ほ脱犯は、伝播性の強い犯罪であり、かかる経済的利欲犯に対する刑罰は脱税者の発生を防止するに効果的な刑罰でなければならず、「正直に納税した者が馬鹿をみる」というようなことがないために一般予防の面として刑事制裁を科するという特質があることは否定しえない。

このことは、裏を返せば被告人の責任に相応し、脱税者の発生を防止するのに十分に効果的な刑罰であればよく、それ以上に被告人が一生立ち直る機会がなくなり社会的に更正し得なくなるような苛酷な刑罰を科する必要はないことを意味するのである。本件において被告人が実刑となれば、前述のごとく被告人の病院は倒産必至で、その結果多大の負債が残り被告人は二度と社会的に立ち直り得ないことは容易に想像されるのであって、実刑判決は被告人の責任に相応しない苛酷な判決であるといっても言いすぎではない。また、前述のごとく被告人は本税、加算税等総計一〇億八三七一万円余を完納しており、その他延滞税が二億円弱、それに加えて罰金一億円が併科されるのであり、この経済的な面の制裁は、経済的利欲犯たる脱税者の発生を防止するのに十分な効果があったといえるのである。被告人が多額の税金等を納付したのにも拘らず、実刑が科されるとしたら、今後発生する他の租税ほ脱事件において被告人の納税意識を鈍らすことにもなりかねず、そうなれば刑罰の制裁をもって納税を促し、国家の財政を確保しようとする所得税法のもう一方の立法目的にも反しかねないともいえるのである。

五(一) 刑の量定に当っては、それぞれの特殊性を当然考慮するとしても他の同種事犯との間に極端な均衡を失することは妥当でなく、その意味で犯罪者といえども法の下の平等を保証した憲法一四条の保護下にあるのである。

以下のような本件とは比べものにならない程の社会的に注目され多大な影響を与えた大型脱税事件の量刑は次のとおりである。

(1) 草月流家元事件(昭和五一年一二月一五日東京高裁判決・判例タイムズ三四九号二六三頁)

1 ほ脱税額 合計三億四〇〇〇万円

2 量刑 罰金一億円

(2) ネズミ講事件(昭和五三年一一月八日熊本地裁判決・判例時報九一四号二三頁)

1 ほ脱税額 約二〇億円

2 量刑 懲役三年、執行猶予三年

罰金七億円

(3) 殖産住宅事件(昭和五五年七月四日東京高裁判決)

1 ほ脱税額 約二九億円

2 量刑 懲役二年六月、執行猶予三年

罰金四億円

右事件は、いずれも五年より以前のものではあるが、そのほ脱額の多さ、社会的影響力の大きさは本件とは比較にならないほどの大事件であるにも拘らず、いずれも罰金刑のみかあるいは執行猶予付の判決である。これらの判決を考えれば被告人に対する実刑判決は極めて重く、均衡を失するものである。

(二) 検察官は、原審において本件と類似する租税ほ脱事件について昭和五五年以降他に二件医師が実刑判決を言渡された旨主張している。しかしながらその報告書記載の判決のうち、被告人岡田光生に対するものは、脱税事件の約七ヵ月前に医師法違反の罪により懲役二年、執行猶予三年に処されており、これが量刑の大きな要素を占めたものと思われ、被告人土用下和宏に対するもの詐欺の罪との併合罪であって本件と類似の事犯と考えられないものであり、いずれも被告人を実刑判決に処する参考とはなり得ないものである。

(三) 昭和五五年以降、医師(歯科医も含む。)の租税ほ脱事件において、執行猶予付の判決が言渡されたものは次のとおりである。

(1) 昭和五五年三月三一日東京地裁判決(税務訴訟資料一一八号三六〇頁)

(2) 昭和五六年九月二一日東京地裁判決(税務訴訟資料一三一号九一頁)

量刑 懲役一年、執行猶予三年

罰金二三〇〇万円

(3) 昭和五七年五月三一日東京地裁判決(税務訴訟資料一三一号六八八頁)

量刑 懲役一年二月、執行猶予三年

罰金三〇〇〇万円

(4) 昭和五七年九月八日浦和地裁判決(税務訴訟資料一三二号一一一七頁)

量刑 懲役二年、執行猶予五年

罰金七五〇〇万円

六 右のように諸事情のほか、被告人は脱税の事実を率直に認めて事案解明に協力し、本件摘発後十分に反省しており、また被告人経営の病院の経理を改善し再犯防止に努力し、さらに被告人自身医師及び病院経営者としての職責を改めて自覚し、将来とも老人医療に専念したい旨の決意披歴しているなどの事情をも考え合せると原判決の実刑判決は刑の量定が甚しく不当であり、是非とも原判決の破棄を切望する次第である。

第二点 原判決は、判決に影響を及ぼすべき重大なる事実の誤認がありこれを破棄しなければ著しく正義に反する。

一 租税ほ脱犯は、いわゆる故意犯であり、したがってそれが犯罪として成立するためには、行為者に構成要件に該当する事実の認識が必要である。租税犯の構成要件は、偽りその他の不正の行為により納税義務を免れることであるから、右ほ脱犯の構成要件を組成する客観的事実の認識が成立するためには、納税義務、すなわちその内容をなす所得の存在についての認識が必要である。ほ脱犯における故意として所得の総額についての正確な認識は必要ではなく、申告額を上回る所得が存在しているとの認識があれば足りるとか、秘得した所得の総額についておよその認識があればよいとする、いわゆる「概括的故意説」といわれる考え方があり、これに従う判例も多数存在するが、この考え方は故意の立証にはどの程度で足りるかという立証の問題と、故意の内容は何かという問題を混同しているものである。このような考え方が出てくるのは、行為者において多数の年間取引等によって生ずる収益あるいは損金のすべてを、いちいち正確に把握していることは実際上殆ど不可能であることに基づくのである。それ故、申告額を客観的所得との間に差があれば、故意がすべてに及んでいると推認されるという問題を故意の内容の問題と誤認しているものであって妥当でない。間接事実を総合し経験則を適用し確信が得られれば、故意の内容として実際所得額を認識しているものと事実上推定して差支えないということにとどまるのであって、決して一部分についてだけ認識すれば足りるというのではない。行為者にほ脱の犯意の認められない部分があれば、その部分はほ脱所得の算定にあたり除外して計算すべきである。もし概括的故意で足りるとするなら、例えば申告額を一円上回る点についてほ脱の故意さえあれば、たとえ一億円の計算違いがあった場合さえそのすべてがほ脱所得となる結果を生ずるという不都合が生じるのである。

そして、実際所得額を認識しているものと推認出来るとの経験則が働くのは、行為者において年間の取引につきすべて関与しており、かつ収入支出につきすべて管理していることの立証があった場合であって、その結果として申告額を上回る実所得額が存在する以上は、右実際所得金額を認識しているものと推認できるにとどまるのである。

二 以上のことを前提として本件につき以下検討する。

被告人が総務部長得丸秀幸に指示して付添料収入等を除外し、薬品衛生材料費等について架空の仕入を計上したりして脱税したことについては一、二審判決指摘のとおりである。

しかしながら、被告人が直接収入や現金を管理していたのは昭和五〇年頃までであり、それ以後は総て得丸が管理していたのである(得丸秀幸の収税官吏に対する昭和五八年一〇月一三日付質問てん末書 問八に対する答え)。

また、架空の仕入を計上することについては、「当初のころは、その都度説明していましたが、ここ二~三年は私に一切任されていますので、個々に説明するようなことは行っていません」(得丸の収税官吏に対する昭和五八年一〇月二七日付質問てん末書、問三に対する答え)とのことであり、これはすなわち、昭和五五年頃からは得丸が架空仕入等の不正処理について全て行ってきたことを意味するのであって、それ故被告人は本件公訴事実に係る昭和五五年より同五七年度分の不正処理には直接係わってはいないのである。

さらに、被告人の収税官吏に対する昭和五八年一〇月一三日付質問てん末書、問五「各年度分の所得を少なくした金額はどのくらいですか」との問いに対し、被告人は「今はっきりと分りませんが、五五、五六、五七年各年とも三〇〇〇万円程度にはなると思っています」と答えており(もっとも、後ほど五七年度分については同質問てん末書、問二四に対する答えで二億三〇〇〇万円くらいと訂正している)、被告人の脱税の認識額は、五五、五六年度は約三〇〇〇万円、五七年度は約二億三〇〇〇万円合計二億九〇〇〇万円のほ脱の故意しか存在しないのである。したがって、被告人のほ脱額を三年分で合計六億六四〇〇万円弱と事実認定した一、二審判決には重大なる事実の誤認があるのである。

得丸は、被告人から金を要求される都度不正経理で処理し、被告人に渡していたのであるが、金銭入用の都度、裏の金でとか不正の金でとか別に言っているわけではなく(得丸の収税官吏に対する昭和五九年二月九日付質問てん末書、問四に対する答え)、それ故に被告人は得丸よりもらった金が不正な手段によるものかそれとも正規に会計処理されたものかについて全く意識しておらず、いいかえれば被告人には不正に処理された金であるとの認識は全くないのである。

また、架空仕入の計上額が増加したのは、被告人が「ダリ」の絵画を購入した資金の捻出が必要だったからであり(得丸の収税官吏に対する昭和五八年一〇月一七日付質問てん末書、問四に対する答え)この五七年度については絵画の購入資金が必要であり、そのことは被告人も十分に了解していたのであるから、前述の約二億三〇〇〇万円のほ脱の故意があったと推認されるのは弁護人としても異論はない。しかしながら五五、五六年度にはこの「ダリ」の絵画購入などの高額な支出があったとの事実は証拠上どこにも現われておらず、したがって一、二審判決が五五年分のほ脱税額を一億三九〇〇万円弱、五六年分を二億五五〇〇万円余と認定したのはなに故か理解し難い。

被告人自身が取引すべてに関与しており、かつ収入支出につきすべて管理しているという事案ならばこの事実認定は妥当であるかもしれないが、被告自身は取引あるいは収入支出について全く関与していないのであり、本件は前述のように被告人が実所得額を認識しているとの推認が働かない場合であって、前述のごとき間接事実によれば被告人には一部しかほ脱の故意は有しなかったものと認定すべき事実なのである。

これに対し、被告人が一、二審においてほ脱税額を争わなかったことが、公訴事実のほ脱税額全額について故意があったと認定しうる間接事実であるとの反論もあろう。

しかし、被告人が争わなかった真意は、被告人の収税官吏に対する昭和五八年一一月一一日付質問てん末書添付の誓願書にもあるごとく、何とか当局による告発を免れ病院を存続したいという一心からであり、捜査段階、公判廷において一貫して述べているごとく執行猶予付の寛大な判決をもらいたい一心からであると推測されるものである。したがって、被告人が争わないとの一言をもってほ脱税額全額について「故意あり」と認定するのは誤りである。

三 以上述べた如く、被告人のほ脱税額についての故意の認定には誤りがあり、したがって五五、五六年度ほ脱税額の大多数の成立は認められないのであって、このことは量刑上にも大きな影響を及ぼすものであることも十分に考慮頂きたいのである。

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